村上家住宅

所在地
所有者
隠岐郡海士町
私有
 


 後鳥羽上皇が隠岐に配流になって19年間、悲愁の生活を送った後、御火葬塚に埋葬された。それを代々お守りしてきたのが村上家である。
 村上家住宅は、同家が宮司を務める隠岐神社のそばにある。貴人を迎えるために立派な玄関破風がある同家には、かつて昭和天皇が皇太子時代に休憩のために立ち寄られた。その時のご休憩の間には、風景を透かし彫りにした8枚の欄間飾りがある。外観は屋根などに多少手が入り、昔とは異なっているが、隠岐の風土とは一風変わった、十分に格式を感じさせる豪壮な民家である。

都万目の民家

所在地
建築年代
所有者
隠岐郡隠岐の島町
幕末頃
隠岐の島町
 


 都万目の民家は、旧西郷町都万目にあった日野家の主屋を移築したものである。島後における大型農家の四間取りに中居(ナカエ)を加えた形式の典型的なものである。中居とは土間の一画にあり、台所のくどの脇、食事や、一家団欒の場である、この家では板の間になって、囲炉裏がきってある。大きな大黒柱の上には井桁に組んだ太い梁が交差している。装飾的で美しく、隠岐では格子梁(コウツバリ)と呼んで以前は多くの民家に使われた手法であった。その梁は外壁からも飛び出し、外で軒桁を支える。その軒桁は屋根を支え、深い軒の出をつくり、軒先の陰を落としている。

根岸家住宅

所在地
建築年代
指定
所有者
松江市北堀町
享保年間
国指定文化財
私有
 


 小泉八雲(ヘルン)旧居であり、江戸時代後期の中級武士の典型的な住居である。隣接する「武家屋敷」とともに、歴史的町なみである「塩見縄手」の構成の中心をなす。通り沿いに下見板張りの塀を巡らし、南北に庭を配置する。
 素焼きの瓦の載った小ぶりな門をくぐると、玄関前の庭がさほど大きくない空間をもって待ち受けている。この庭の空間は、ピンと張りつめた空気を湛えている。公から私への移行空間とも言えよう。庭に関する記述の多い小泉八雲が、気に入った庭である。