自宅に付設された作業場。
この時は、隠岐島前の焼火神社の部材を作成中だった。
左端に、すでにできあがった斗きょうが組まれているのが分かる。
松江で部材を加工する。
加工した部材を隠岐へ持っていき、組み立てる。
焼火神社建立の時と同じく、プレハブで建設される。
板図。幾何学・図学を駆使して、部材の大きさや寸法などが決定される。
出雲の宮大工
宮大工佐藤保治さんに話を聞いたことがある。日本全国を飛び回り各地の文化財修理を手がける宮大工である。社寺を専門としながらも、城郭や民家も手がけている。模型に関わることも多い。薬師寺のころには西岡常一棟梁とのつきあいもあったという。
京都や奈良と違って島根県には建造物文化財が少ない。当然自治体の職員として雇われ、安定した生活を保障されることなどない。社寺しかできない宮大工では食っていけない。
一人親方で、各地を飛び回り、文化財だけでなく、一般民家にも携わるというその姿は、これからの職人を考える上で興味深い。
大工とはもっとも純粋なかたちの「ものづくり」であり、建造物にとらわれることはない。水車であれ、御神輿であれ、自分の作業台であれ、立派な宮大工の仕事なのだ。
西岡常一棟梁のもとで手伝いをしていた20代後半の一時期、まず最初に作業台をつくれと言われ、何度つくってもやり直しを命じられ、丁寧に研いだ一枚刃の鉋で綿のような削りかすが出るまで鉋がけして、「なんとか使えるな」と言われたという経験談は、佐藤さんの原点のような気がする。