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独特のあたたかさ・
やさしい感触 |
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青みを帯びた凝灰岩で、戦国時代から採掘・加工が行われていた伝統的な材料である。当初は技術が未熟だったようだが、大阪から加工の坪内弥惣兵衛を招き、技術の向上等が図られた。その後、石見を中心に広島県・山口県まで販路を拡大し、出雲の来待石と共に、明治時代まで山陰を二分する石製品の産地となった。当時の製品は、建築関係で地覆石・棟石・敷石・配水管・炬燵炉石などに使われ、外構にも鳥居・灯篭・手水鉢・飛び石に使用され、その他の生活一般には、流し、竈、粉挽臼として広く利用されている。
江戸時代中期には、名工坪内兵平七利忠らにより、羅漢五百体が制作され、石見銀山の羅漢寺(大田市大森町)に安置されている。その豊かな表情の数々は、当時の技術水準の高さを物語っている。
その後セメントの出現や、御影石の加工技術の進歩により需要が減少したが、この石材の持つ、独特のあたたかさ・やさしい感触等が見直され次第に回復してきた。凝灰岩の軟石を多用する関東や北陸中心に販売を行ってきたが、地元や島根県内にも建築・造園・土木材料として利用が拡大しており、さらなる生産・加工体制の向上を目指している。 |
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